豆腐メンタルの人生やり直し記録

仕事もバイトも何も続かない豆腐メンタル野郎が何とか更生を目指します

何も持たぬまま迎えた30歳

起きた。けどまだ眠かったからまた寝た。気付いたら朝の9時半だった。布団から出るのも気分が乗らずスマホを手に取るとLINEの通知が2件。どちらもお誕生日おめでとうLINEだった。今日は誕生日かと気付く。

 

ちなみに1件は僕がお金を数十万円貸している親父から。もう1件は1年半程前に退屈な毎日から抜け出そうとして始めた趣味があり、そのコミュニティにいる高校生の子からだった。親父はまあ置いておくとして、その子からLINEがきていたのは意外だった。毎年誕生日に連絡があるのは親父くらいだし、その親父でさえ連絡してこない年もある。誕生日にLINEが2件以上あるのは稀なのだ。

 

今回連絡をくれたその高校生の子はコミュニティで関わりが強くあるわけでもなくたまに一言二言話すくらいだし最近知ったような人だ。こういう人は知っている人皆に誕生日おめでとうと連絡するのだろう。まめで素直だし、周りから好かれるんだろうな。

 

そして急だけどこの趣味はそろそろ止めようと思っている。社会人も学生もいる中で、一人暮らしをしながらまっとうな会社員として働いているという嘘をつくのもしんどくなってきた。

 

当たり障りない返事を2人にした後、30歳のスタートに何も予定がないことに憂鬱になりながらとりあえず怠い身体を起こしてトイレで用を足した。ついでに洗濯機のスイッチを入れた。洗濯さえできればその後の一日はちゃんと動けることが多い。しかし今日は違ったみたいだ。ベッドに戻って洗濯が終わるまではと自分に言い訳し、ひたすら今日一日を潰せるコンテンツがないか探した。

 

途中で洗濯だけは終わらせながらも結局ベッドでYouTubeで気になる動画を探したり、TVerのランキングを見たり、面白そうな漫画がないか探したり。最近の暇のつぶし方はこんなものばかりだ。つまらない。どのコンテンツを見ても新鮮さを感じられず、見たいという欲望が沸き上がってこない。そんな中でもなんとなく目星をつけていた漫画を読むことにした。これが思ったより陰鬱とした空気で、しかしながら次の展開が気になるようなもので気付いたら最新巻まで読みふけっていた。次の最新巻が出るのはいつかを調べ終わったらなんだか怠くなって目を閉じた。

 

誕生日当日既に17時。結局そのままぼーっとベッドでスマホYoutubeを見ていると母親が夜勤明けで銭湯に行っていたところから帰ってきた。部屋をノックして「開けていい?」と一言。この瞬間部屋で自慰をする中学生のような気分になった。普段より雑に返事をした。諦めてリビングに戻ってくれるだろうと思っていたが、扉を開けて「あれおったんや、誕生日おめでとう。誕生日のご飯何食べたいか決めた?」

 

ああ、自分はなんてどうしようもないやつなんだ。

 

「特に決まっていない」

 

こんな気分なのに(そんなの母は知らないが)部屋に入ってきた母の無神経さ、誕生日に誰と外出するわけでもなく自分の部屋でボーっと過ごしていること、そんなときに30歳にもなって母にご飯どこ行きたい?と聞かれているこの構図、全てが情けなかった。

 

今年に入って仕事をまた辞めてしまった。完全に逃げ癖がついている。Twitterをしていれば優しく声を掛けてくれる人もいるけど、それに甘えていてもいけないなと思う。自分のメンタルとか状況を似たような人と共有して、少しでも前向きに人生歩めたらと始めたTwitterだが5年経って状況は何一つ好転していない。それどころか歳をとった分状況は悪化している。社会復帰の一助になればと始めたが、僕レベルになるともはや何かの支援を頼らないとまずいかもしれない。Twitterは使ってればいい面もあるんだろうけど、僕にとっては結局傷の舐め合いしてるだけ、孤独であるがゆえの寂しさを少しでも軽くしたい用のツールという側面も大きいかなと。その証拠に最近は社会復帰したり前向きに進んでいるからか浮上が激減しているフォロワが多くそんな状況に悲しくなるというか嫉妬してしまっている。情けない。

 

 

何にもしてないんだけどな。なんだか疲れちゃったよ。30代新たな幕開けは幸先悪いスタート。輪廻から抜け出したいよ

 

8年ぶりに精神科に行ってきた

今日は仕事をサボってしまった。

 

せっかくだし、精神科に予約をしようと思い電話をしたら今日空いている時間があったので行くことにした。

 

今まで仕事を何度も辞めてまともに生活できてるとは言えなかったのに、精神科に行かなかったのにも理由がある。

一つは精神科に行くと生命保険に入れなくなるみたいな話をどこかで見たから。もう少し仕事が続いて生活が安定したら葬式代+αくらいは残すために入ろうと思っていた。

もう一つは8年前、大学中退間近というところで精神科に行ったが、まあ一時的なものだよと一蹴され、薬も診断も何も貰えなかったからだ。僕くらいのただ繊細で不安になりやすいくらいの人は精神科に行く意味がないと知らされた。

とにかく仕事を続けないと何も始まらない。もう一度他のところに行ってみることにした。

 

あまり長々書く気はないので結論を言うと、明確な診断名は降りなかったが、不安になりやすいちょっと人より神経質なんだねということで薬が処方された。

 

アルプラゾラム錠「アメル」というものだ。これを不安が強くなったときや緊張感が激しいときに頓服的に使用してみてねということだった。仕事をすぐ辞めてしまってもまたすぐに立ち上がって仕事を始めることを続けてる。そこはすごいことだよ。自信を持ってとの励ましを受け診察は終わった。

 

この薬を次に使うのはまたどこかに就職して社員として働き始めたときだと思う。まだ効くかわからないけど、不安やパニックになったときに頓服があるという安心感だけでもありがたい。

しばらく使うことはなさそうだけど、これが必要となるその時までお守りとして大事に取っておこうと思う。

 

研究室から逃げて大学中退してから自衛隊に行くことになった話⑩

研究室から逃げて大学中退してから自衛隊に行くことになった話⑨

 

 

入隊まで残すところ3週間となり、焦りだけが募って何もできない日々が続いていた。

入隊の案内を読んでは、ネットの掲示板で自衛隊の内情を調べようとした。

未知の世界に飛び込もうとするとき、その未知さに比例して不安が増幅することはよくある。

自分を安心させるために少しでも情報を得たかった。

しかし、良い話もあればもちろん悪い話もあり、不安で眠れなくなる日々が続く。

広報官に連絡したときの勢いは既になくなっていた。

しかし、当時の自分はもうここしかないと考えており、辞退する気になれなかった。

やっと離婚し、負の呪縛から開放された母に迷惑をかけたくなかったのだ。

とにかく何かしないでいないと落ち着かなかったため、走り込みと腕立て伏せを毎日するようになった。

半年以上ほとんど引きこもりのような生活をしていたため、身体が鉛のように重くすぐに息が上がった。

その事実がより焦りを招いたが、何もしないと気が狂いそうだったためそれよりはましだった。

 

残すところ2週間、案内に記載のある持ち物を確認し、不足しているものやネットで推奨されていたものをまとめてネットで注文した。

自分の全財産は残り一万数千円。恐ろしくなった。

大学も行っておらず、働いてもいない。このままいくと、1ヶ月後からは定義上ニートになってしまう。

親に迷惑はかけたくない。

不安ではあった入隊だったが、申し込んでよかったと心の底から思った。

そして半年前の秋に振り込まれた奨学金が少し残っていた。

自衛隊に入ってしまえば衣食住に困ることはないため全て繰り上げ返済用に使うつもりだったが、念の為残しておくことにした。

 

そして荷物も揃い、あとは当日最寄りの基地に向かうだけとなったが、最後に一番やっておかないといけないことがあった。

母への報告だ。

僕が大学卒業を諦めていることは承知であったが、この先どうするかは何も聞いてこなかった。

もちろん気になっていたことであると思う。

そんな母に自衛隊に行くつもりであること、もう試験も受かって今月末には家を出ていくことを打ち明けた。

「はい?」

まだ現実味を帯びていないようで半信半疑といった様子であった。

内定通知や案内のパンフレットを見せ説明する内にようやく信じてもらえた。

「でもあんた、やってけるの」

心配そうな目でこちらを見る母。

大学もまともに卒業できなかった僕が自衛隊に行ってまともにやれると思えないのは当たり前だ。

大学を卒業していたとしても、息子が軍に志願するなんて話を聞けば誰だって心配になるだろう。

母は思いつくだけの疑問をありったけ僕にぶつけた。

その各々について、母が本当に気になって質問しているわけではないことはわかっていた。

とにかく心配だったのだ。

そんな母を見ているとなんだか申し訳ないことをしてしまった気がしていたたまれなくなったが、もう決めてしまったことだ。

こちらも引くに引けず応対した。

「本当に行くんやね」

母はようやく納得してくれた。

納得してくれて嬉しいはずなのに、なんだか寂しい気持ちになった。

 

入隊二日前に、近くの床屋に行った。

「どんな感じでいきましょう」

無愛想な中年くらいのマスターと思わしき店員に目に掛かるくらいまで伸びた髪の毛を携えて一言伝えた。

「坊主にしてください」

切れ長のマスターの目が見開いた。

「坊主?」

「はい坊主でお願いします」

「いいけど、いいの?」

髪を今風に伸ばして調子に乗っている若者がいきなり坊主を要望してきたのだ。しかも坊主にするのはマスターだ。責任重大な気がして簡単には受け入れられなかったのだろう。

 

しかし、何度も押し問答をしているうちに僕の固い意志を読み取ってくれたようだった。

「お兄ちゃんなんかやらかしたんけえ」

「まあ色々ありまして」

苦笑いしつつ事情を濁す僕にそれ以上何かを聞いてくることはなかった。

「5mmくらいでええか」

「5mmがどれくらいかわからないですけど、それくらいでいいです」

慣れた手付きでバリカンの準備をするマスター。

よく考えてみれば、坊主含め今まで短髪にしたことなど一度もなかった。

今ある髪の毛が人生で初めてほとんどなくなると考えると少し緊張した。

「それじゃあ、本当にいいんやね?」

深呼吸をして覚悟を決めた。

「お願いします」

バリカンの電源が入り、ついに髪の毛が駆り取られようとした瞬間ふと思い出した。

「あ、真ん中からお願いします」

「え?真ん中から?」

驚いてバリカンを止めたマスターは素っ頓狂な顔をした。

「はい、お願いします」

一度もやることがないと思っていた、逆モヒカンをやる機会がせっかくできたのだ。

少しの間だけでもそれを楽しみたいと思った。

「わかったよ」

再度バリカンの電源が入り、バリカンを持ったマスターの手がゆっくり近づいてくる。

そしてバリカンが皮膚に触れた瞬間、僕の緊張は最高潮に達した。

刈り上げる音と共に僕の頭皮が一瞬で露出し、絶望感と快感が同時に訪れた。

そして、考える暇もなく逆モヒカンが完成した。

「あーあ。これでいいの?」

バリカンを止めたマスターは苦渋に満ちた表情で言った。

髪の毛を切って、客の要望に応える髪切屋が客の要望通りにして何ら悪いことはない。

しかし、客を逆モヒカンにして後ろでばつの悪そうな顔をしている店員を鏡越しに見ると可笑しかった。

「ありがとうございます。続けてもらって大丈夫です」

その後あっという間に僕の髪の毛はなくなっていき、坊主が完成した。

こんな顔をしていたのか。

毎日自分の顔は見ていたはずなのに、坊主になって別人と思えるくらい違いを感じた。

正直ブサイクだなと思ったのと同時に、髪の毛って大事だなと実感した。

もう失った髪はどうしようもない。

髪がなくなって見た目は芋臭くなったのに、物理的に頭が軽くなりなんだか気分が良かった。

もう戻れないところまで来てしまい緊張が解けたのもあったのかもしれない。

どうでもいいどころかスッキリした。

そんな僕の様子を見てマスターも安心したようだ。

「お兄ちゃん、坊主もいけるやんか」

本当でもお世辞でもどっちでも良かったが、無愛想なマスターが笑顔になったことが嬉しかった。

「せっかくだから顔剃りもマッサージも受けてけい」

その後とくに会話をすることもなく淡々と施術を受け、淡々と店を出た。

 

その夜、坊主になった僕を見て母は笑った。

「なんちゅう顔しとんの、誰かと思ったわ」

「顔は変わらんやろ、変わったのは髪や」

「いやにしてもどんな髪。急にギャグみたいな風貌やな」

「まあおもろいならそれでいいわ」

面白可笑しくイジってくれていたが、本当に行くんだということをより実感したようであった。

「本当に行くんやね」

「まあね」

最後は何だか気不味い雰囲気になってしまった。

「そういえば、悪いけど明後日基地まで送ってってほしい。休みやんね」

「わかった」

もう引き止たいがためにする質問責めも文句も行ってこなかった。

 

あっという間に入隊当日の日はやってきて、荷造りをしていた。

「あんた、何時に送ってけばいいの」

「2時間後」

「わかった」

不安と緊張で一杯の中、母の車に乗り込んだ。

行きの車の中ではほとんど会話はなかった。

今まで以上に何を話せばいいか分からなかった。

下手にいつもより話し込むのも不自然な気がするし、それなら沈黙の方がいい。

外の景色をなんとなく眺め続けた。

基地が見えてきて、急に心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

ついに来てしまったのか。

駐車場に着いて、どうすればいいか困っていると基地の人がこちらに向かってきた。

「今日入隊の方ですか」

「は、はい。そうです」

名前と広報担当の名前を聞かれ伝えると慣れた様子で基地の中に案内してくれようとした。

「お母様はここまででお願いします」

「あ、わかりました」

門の中へは母は入れない。

「あんた本当に大丈夫」

今までにないくらい心配そうな顔をしている母がいた。

実際自分のこのメンタルでやっていけるか全く検討もつかなかったが、もうここまで来たら引き返したくなかった。

「わからん、でも行く」

少し間があって、母も答えた。

「そっか。じゃあ気をつけてね」

「うん。頑張ってくる」

そんなやり取りを担当の人は笑顔で見ていた。

「じゃあ行きましょうか」

「はい」

その後母に背を向けて歩き始めた。

門をくぐると、基地内を歩いている人は迷彩服を着ている人ばかりだった。

戻れないところまで足を踏み入れてしまったと思った。

「ちょっと待ってもらっていいですか」

担当の人に伝え、後ろを振り返ると門越しにまだこちらを見ている母がいた。

泣きたくなるのを誤魔化すためにふざけて手を振りたい衝動を我慢し、前を向いた。

「色々大変なこともあると思うけど、頑張ってね」

「ありがとうございます。頑張ります」

 

二度と振り返るまいと誓い歩き始めた。

 

 

 

終わり。

 

 

研究室から逃げて大学中退してから自衛隊に行くことになった話⑨

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指定のあった喫茶店に行くと、一番奥の席でこちらに手招きしている人を見つけた。

勢い余って自衛隊の広報担当に電話を掛けたら明日にでもお話しましょうかと言われ二つ返事で承諾したのだった。こういう時の行動力だけはなぜかあった。

「広報官のKです。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

背丈は高くないもののガタイが良く、その割に物腰の低そうな様子でこちらに緊張感を持たせないような人だった。後に2曹という階級の現役自衛官であることを聞き驚いた。

 

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研究室から逃げて大学中退してから自衛隊に行くことになった話⑧

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年末年始はアパートで過ごした。

 

一人だった。

 

晦日はおかんは夜勤に行き、妹は友達と遊んだりして家に居ることはほぼなかった。

 

おとんがいる実家に戻ろうと思ったが、身体を動かすのが面倒くさくてその気にもならなかった。

 

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4年前にTwitterを始めた僕へ

 

こんにちは。

2019年にTwitterアカウントを開設した僕へ人生の進捗報告をしようと思います。

 

寂しいことを言うようで悪いんだけど結果から言うと、Twitterをやっていたのはほぼ無駄だったよ。

 

誤解を生むと嫌だから言い直すけど、Twitterをやっててよかったこともあるし、学んだこともあったよ。

 

ただ、Twitterを開いている時間が多すぎてその大半は無駄なものだったということ。

 

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2023年あけましておめでとうございます

 

どうも。

あけましておめでとうございます。

 

気付いたら2023年になっておりまして、家の中でぼーっとしながら年を越すというのがここ最近の大晦日の過ごし方になっています。

 

本当は2022年の総括も2023年の抱負もここに書き留めるつもりはなかったんです。

なんか面倒くさくて。

 

しかしですね、テレビも面白くないし、Twitterも皆浮上していないし、新年早々取り残された気がしているのとあまりにも暇なのでてきとうに書こうかなと思います。

 

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