豆腐メンタルの人生やり直し記録

仕事もバイトも何も続かない豆腐メンタル野郎が何とか更生を目指します

過去の自分を振り返ってみる① - 誕生から小学校卒業まで

こんにちは!

しょうです。

 

今回から過去の自分について振り返ってみようということで、生まれてから現在に至るまでの僕について何記事かにわけてまとめてみようと思います。

 

 

これをする狙いとしては、

・自分の強みを見つける

・自分の弱点を見つける

・自分を今のような考え方・性格にした出来事を探す

です。

 

 

では少し長く稚拙な文章になりますが、お付き合いください。

(急にだ・である調になりますが、突っ込まんといてください笑)

 

 

 

某病院で長男として誕生し、家族親戚一同に可愛がられながら育った。

生まれてから保育園時代については内向的ではなく、どちらかというと外で遊び回るタイプだったはずだ。そして、親戚の人に「いいこだねー」「気が利くねー」と言われることが多く、他人に気がきくと言われることに喜びを感じるようになっていた。あと、エスカレータを乗るのも怖がって号泣したり、観覧車で泣いたりと、とにかくビビリであった。正直、その他についてこの頃は強烈なエピソードもなくあまり記憶にない。順調に卒園し、小学校に入学した。

小学校低学年。この頃はゲームボーイカラーが流行っており、ポケモンカービィなどいろんなゲームをした覚えがある。もちろん外で遊ぶのも大好きだった。よく遊ぶ友達もおり、特に何の変哲もない元気な小学校低学年時代を過ごした。そしてアイスが大好きだった僕は食べたいだけアイスを食べ見事にKONISHIKIキッズへと変貌を遂げた。

小学校中学年になると遊ぶ友達ががらりと変わった。クラス替えが2年に1回実施されたからだ。遊ぶ友達が変わっても元気っぷりは変わらず、この頃は、ソフトテニスにハマっていた覚えがある。学校が終わると毎日、公園に行き、延々と打ち合っていた。ゲームもしていた。

小学校高学年になると、例のごとくクラス替えがあり遊ぶ友達も変わった。

この頃も外で元気に遊んだり、ゲームを友達としたり(ゲームキューブが流行っていた)と楽しく過ごしていた。しかし、6年生あたりはあまり良いとは思えない記憶が蘇る。僕がいたクラスは学級崩壊していた。先生が「やる気のない人は出ていきなさい」と言えば7割が教室を出ていくようなクラスだった。そして僕はその中でもいつも授業を抜け出して屋上で暇をつぶす一番悪い集団の中にいた。根が真面目な僕がなぜそんなことになったかと言うと、その頃の友達(2人)の影響だ。その友達とはもちろんクラスが同じで学校でも一緒にいたが、学校以外でもよく遊ぶほど仲がよかった。ただ、その2人は結構不真面目なやつらで、先生にもよく反抗していた。そして、その2人は遂に6年生の半ばあたりから学校には来るものの授業に出なくなってしまった。そんな中もちろんその2人は僕を誘って授業を抜け出そうとする。僕は基本的に怒られるのが怖かったので拒否したかったのだが、拒否したら友達に嫌われる気がして嫌々ついていっていた。担任の先生やその他の先生が屋上まで来て怒鳴られることを考えるといてもたってもいられず、楽しそうな他の2人とは対象的にビクビクしながら毎日を過ごしていた。実際たまに怖い先生が来たときも他の2人逃げたり、笑いながら反抗していたが、僕は頭が真っ白になり、謝り続けることしかできなかった。担任や他の先生は僕の本性というか本当は真面目な子というのはわかっていたのだろうと今思う。

そんなこんなで無事?に卒業し、中学へと入学することになる。

低中高学年と分けてまとめてみたが、既に上で書いたことと別に小学校6年間を通して共通していたことが大きく分けて2つある。1つ目は父に叱られるのをとても怖がっていたことだ。2つ目は、両親がよく喧嘩しており何とも言えない感情を抱いていたことだ。まず前者に関してだが、父親の叱りは本当に恐怖だった。母親はいつものように僕を叱っており、かつあまり迫力もなかったためあまり怖いと思ったことはなかったが、父は違った。父はよほどのことがない限り叱ることはないが、叱るときは基本的に怒鳴りであった。そして、怒鳴ると本当に怖い。雷が落ちるという比喩が比喩じゃないと思うくらいに急激で、大きくて、激しいものだった。そんな叱られ方であったのと元々びびりなのも合わさり、叱られている最中はただただビクビクして、号泣し、何の反省も示すことができなかった。

後者に関しては、本当に今でもよく覚えている。父は朝帰りも多く、金遣いもあらい(パチンコをしていた)、そして亭主関白となかなかの人だった。それに母が耐えられなかったんだろうと思う。よく喧嘩をし、父が怒鳴って母が涙を流す。そんな光景をよく見ていた。もちろんそのやり取りに介入することなどできるはずがなく、ただただ嫌だ嫌だ早く終われとしか考えられなかった。平気で子供の前で喧嘩するため、その場を飛び出して部屋にこもることも多々あった。

 

 

 

 

上小学校時代までの僕についてでした。

 

 

この頃からあるものとして、

・他人の顔をうかがう

・他人から嫌われるのを極端に避ける

・ビビリ

の3つがあったように思います。

 

ビビリに関してはおそらく生まれつきかなと思います。笑

そして、他人から嫌われるのを極端に避けるのはエピソードを思い出してみても何が原因でそうなったのかはわかりません。今は思い出せないだけかもしれないので何とも言えません。ただ、高学年の頃の例の友達2人と遊んでいたときは確かに楽しかったですが、自分の意志を通すことはあまりなく、2人がこうと言ったらそれに従うといったことがほとんどでした。1人が空手やってて結構こわいやつ、もう1人がヤンキーっぽい感じというのもあったかもしれません。ただ、遊んでるときは本当に楽しかったんですよ。

他人の顔をうかがうことに関しては、幼少の頃に気が利くね〜と褒められまくったことで、他人に気を使えるのが良いことと考えるようになった結果かもしれません。あとは、怒ると怖い父の機嫌を損ねないようにしようとしたことも原因にあるかもしれません。

 

 

いずれも今現在の僕が引き継いでいます。

ただこう見ると、この頃の自分は何も考えていないただ毎日が楽しいガキであったように思えます。

あの頃は良かったとつい言ってしまいたくなる時代でした。

 

 

 

次の記事では中学校編について書いてみようと思います。

この作業は結構骨が折れるぞ〜

 

よろしければコメント残していってくださいね!

ではまた!