研究室から逃げて大学中退してから自衛隊に行くことになった話②
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僕には指導担当の先輩とは別に指導をしてくれるY助手もいた。
この研究室で博士後期課程まで行って卒業後、そのまま助手になった人だ。
Y助手は研究の手伝いや、新設された学科での講義や実習を担当しておりすごく忙しそうだった。
「先生(教授)は面倒くさいことばかり自分に押し付けて、研究をさせてくれない。あの人は何もわかってない」
いつも教授に対しての愚痴を言っていた。
Y助手は元々大学院を出たら就職をするつもりだったらしいが、教授から助手として研究室に残ってほしいとの願いがあったため残ることに決めたらしい。
もちろん就職を考えていたY助手は無条件でそのお願いを受け入れたわけではなく、頑張れば何とか助教などのポジションも狙っていけるようにするとのことがあってのことだった。
そんなY助手は一見普通そうに見えて、関わっていく内に好き嫌いの激しい人だということがわかってきた。
おふざけキャラや手を抜くような人が苦手なようで、そういう人に対してはかなり冷たく当たるタイプだ。
そして、本人のいないところでアイツはだめだとかクソだとか愚痴をよく口にしていた。
いつもそんな感じなので、万人から好かれるような人ではなかったし、むしろ嫌っている人が多い印象を受けた。
僕は昔から争い事が嫌いで、誰かに嫌われるのを酷く嫌がる性格だったため、このY助手には嫌われないように日々のやり取りにすごい気を使った。
Y助手との受け応えはかなり真面目に、その人に対しては基本的にNoを言わない。愚痴を言っていることがあれば、寄り添って聞いてあげる、誰かの悪口を言っているなら自分は何とも思ってなくともそれに乗ってしまう。
そんな対応を繰り返している内にY助手は僕のことを気に入ってしまっているようだった。
もちろん、Y助手に対してイエスマンになりつつあること以外にも、研究とは全く無関係の講義の手伝いなども嫌な顔せず手伝ったことも少しは好かれる要因ではあったと思う。
「しょぺくんはいつも研究頑張ってるよ本当に」
そんなことを言われるたびに、僕はまだ何の進捗もない、本当は何も頑張れずパニクっていて時間を浪費しているだけで褒められる要素はないと思っていた。
Y助手は実際に仕事ができるできないより、自分が好きか嫌いかで評価を決めるタイプかもしれないとも感じ始めていた。
だからこそ、本当は僕が仕事ができないタイプとY助手が一度でも感じれば失望されるだろうと怖がっていた。
その恐怖は更に僕のY助手へのイエスマンっぷりを増長させ、Y助手からの僕への信頼はバブル期の不動産価格高騰のように崩壊を待つのみの不穏な上昇を続けていた。
そんなY助手もたまに不穏な空気を僕に対して出すときがあった。
「研究についてのあの作業進んだ?」
研究の進捗を聞いてくる時だ。
もちろんさぼらず何なら休憩もほぼ取らず作業をしていたが、結局頭の中でパニクって空回りしてる状態でPCの前にいることが多く全然進んでいない。
進んでない旨を伝える。
「そっか」
この瞬間Y助手は冷たい表情になる。なっているように見えた。
焦る。汗が止まらなくなる。
嫌われたと思った。どうしようもない人だと思われたように感じた。
その後、何がわからないだとか、進んでいない理由を聞いてくる。
それに答えはするが、解決のための答えではない。
これ以上嫌われないようにするための返答。
だから聞きたいことがいっぱいあっても、最小限しか聞かない。
全く聞かないのもおかしいと思われるし、聞きすぎるとうざいと思われる気がした。
Y助手が違和感を持たず、かつうざいと思わない一番心地良いと思うくらいの質問数に留めた上で、申し訳なさそうな顔をしながらハキハキと言った。
「頑張って早く終わらせます」
Y助手は軽く返事をした後、無機質な顔で部屋を出て行った。
こうやって1日に1回から数回、進捗を聞きに来るため、コーヒーブレイクも他の人達との休憩がてらの会話も自分からはほぼしなくなり、なるべくPCと向かい合うようにした。
誰かと談笑しているのを部屋に入ってきたY助手に見られたら、「そんな喋ってて、研究進んだの?」と言ってくる気がしたからだ。
ほんの5分くらいの談笑だったとして、ちょっと休憩してましたって言えばいいだけなのだが、その前に一瞬でも不穏な空気になるのが嫌だった。
前回話していた指導担当のT先輩にゲームに誘われてやらなかったのもそれが原因だ。
Y助手はT先輩がゲームをやっているのことにかなり否定的だったので、万が一にでも僕が誘いに乗ってゲームをやっているタイミングでY助手が入ってきたら何を言われるかわからない。
そんなこんなで研究室内では僕は真面目に研究に打ち込んでいるが、いまいち何をしているのかわからない、進捗があるのかわからないというポジションになっていたように思う。
Y助手についてだが、今思えば好き嫌いで評価を決めるタイプだったかはわからない。
進捗はなくとも研究室に毎日朝から晩まで来てなんとかしようとしていた雰囲気を本当に褒めてくれていたのかもしれない。
けどそんなこと考える心の余裕はなかった。
当時はとにかく人の愚痴をよく言うY助手に嫌われたくない、このまま好かれていたいという気持ちに囚われていた。