研究室から逃げて大学中退してから自衛隊に行くことになった話④
季節は秋になっても研究室には通い続けていた。
この時期になっても研究の進捗はほぼないに等しいと言っても過言ではなかった。
そして、院進学を諦めた僕は就職する旨を教授に伝えた。
教授含めた色んな人に反対説得されたが、もうこれから何年も研究を続けていくのは無理だと思っていた。
とにかく嘘の理由を並べて相手が説得し辛い雰囲気を作った。
幾度の説得にもそのような形で対応しているうちに教授もY助手も進学に関しては何も言わなくなった。
それでも学士として研究発表はしないといけない。
焦りばかりが募る中、あるコンテストにY助手と出席するよう教授から指示があった。
そのコンテストはある機械を動かして各チームが競い合うというものだった。
機械を動かすにはプログラミングが必要で、与えられた時間は3日だった。
その期間にロボットをどのように動かすかを考え、プログラミングをしなければならない。
そして、3日後にはプレゼンをしながらその機械を皆の前で実際に動かす必要があった。
初日の午前でどのように動作させるかを決めた。と言っても考えたのはほぼY助手だ。
結局研究室で使っている技術を少し組み込んで動かせるようにしようとなった。
午後から僕は実装を担当、Y助手はプレゼン用の資料を作り始めた。
しかし、あらかじめロボットに実装されているプログラムを見てもさっぱり分からなかった。
どこをどのように実装させれば理想の動きを実現できるか皆目検討もつかない。
大量のプログラムを見て全く理解できない状況にパニックになり始めていた。
「どう?なんとなくわかる?動かせそう?」
「結構難しいですけど、なんとかなるんじゃないですかね」
脳内はパニック状態なのに、澄ました顔で当たり前のように嘘をついた。
初日も終了間近になる頃Y助手がもう一度状況を聞いてきた。
「どう?」
「すみません、ちょっと難しくてよくわからないかもです。」
やっと正直に、でも全くわからないという素振りは見せずやんわりと難しい旨を伝えた。
「まあ初日だしそんなもんかなあ」
Y助手はあまり気に留めてないようだった。
その日の夜どうしようと焦りでほぼ眠ることはできなかった。
2日目も同じように作業を継続していたが、理解が進むことはなく、Y助手の表情も険しくなってきていた。
「どこがわからないの?」
「どの部分が分かれば進むの?」
「えーっとー。」
どこも何も全部分からなかった。
実装全部Y助手がやってくださいと言いたいくらいだった。
段々責め立てるようになってきたY助手の問いに汗が止まらず、ついに僕は何も応えなくなってしまった。
「とりあえず一回休憩しておいで」
顔が汗だくになっている僕の様子を見てY助手は半ば呆れたように言った。
もう終わりだ。
うまくできず悔しいという気持ちもあったが、一番ダメージが大きかったのはY助手に少しでも責められてしまったことだった。
タスクがこなせない事自体より、それによって他人に責められることが酷く辛かった。
もう嫌われたと思いながら戻ると、Y助手は優しい口調で教えてくれた。
「ここの部分を変えればできるはずだから」
色々教えてくれたのは良かったが、それでもさっぱりわかっていなかった。
「なるほど。わかりました。ありがとうございます」
明るい表情を頑張って作り、靄が晴れたような顔をして作業に取り掛かっているふりをした。
これでまた分からないと言えば、また責められる。
さっきの険しい表情で責め立てるY助手の顔が浮かび、もう怒られるのは嫌だの一心で嘘をつくことしか考えられなかった。
しかし、結局ちょっと機械を動かしてみようとなったときに動かないので、僕へのY助手の態度は変わらなかった。
発表当日、わからないですけどなんとかしますと言った僕は結局何もすることができなかった。
「とにかく途中まででもいいから動くようにして」
そう言って時間がない中、3日目の午前中はY助手が機械の動作を確認することなくあっという間に過ぎていった。
午後からはいよいよ発表だ。
結局ほぼ何もできずに発表を迎えることになってしまった。