研究室から逃げて大学中退してから自衛隊に行くことになった話①
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研究を進めるに当たり、研究の指導を担当してくれる先輩が一人いた。
わからないことがあればまずは指導担当のその先輩に聞き、教授への進捗報告にもその先輩が同行してくれる。
その人はM2(大学院の修士課程2年目)のT先輩で、研究室の中では明るくて優しそうであっけらかんとした人だった。
内気でおとなしい人が多い学科だったため、これはやりやすい先輩だ。当たりだと当時は思っていた。
研究に関する前提知識の学習も落ち着いてきた頃、教授から一つ指示があった。
OBが使っていたプログラムが僕の研究に関連しているということでそのコードを動かして理解してくれというもの。
またそれができたら、あるロボット内にそのプログラムを移植して動かせるようにしてくれとのオプションも付いてきた。
教授との話の後、T先輩からプログラムをもらった。
「多分これだと思うから見てみてー」
わくわくしながらコードを見てみたが、そんな気持ちはすぐ消え失せた。
プログラムの量が膨大でコードが全く整理されてないぐちゃぐちゃのものだった。
これはひどいと思いながらもとりあえずプログラムを実行してみるが、数百行のエラーが出力された。
一瞬で顔が青ざめた。
OBは当時とにかくプログラムが動けばいいと思っていたんだろう。
動いて研究成果が出せて、晴れて卒業となればこの辛い研究ともおさらば。もう研究のことなんて考えたくないはずだ。
あの膨大なコードを整理してから出ていくなんて後始末するはずがない。
最悪だと思いながら先輩に相談してみた。
「まあ一個ずつエラー潰していくしかないねーなんとかなるよー」
先輩はスマホに目を向けながらそう言った。
エラーとの闘いは本当に辛かった。
そもそもプログラムが慣れていない言語で書かれていた。
そのためプログラムの中身を理解する前に言語の仕様を理解しなければいけなかった。
正直全く理解できなかった。
途中からはエラーの内容との闘いではなくなった。問題の解決に頭を使う余裕などなくなっていた。
まだ初歩の初歩の段階なのに、こんなことで躓いてたら失望される。どうしよう。
期待してくれてた先輩にも失望される。どうしよう。
教授に怒られる。どうしよう。
どうしようもないネガティブな感情に頭を悩ませることだけで頭がいっぱいだった。
一度そう考え始めてしまうと自分は駄目だ、自分はどうしょうもないという考えだけが残り、頭の中はパニックだった。
先輩にも何度か聞きには行った。
しかし、具体的に作業を手伝ったりすることはなかった。
ここはこうかもとか、なんだこれわからん、とか。あまり作業が進むことはなかった。
そして先輩は休憩場所で研究室内のメンバーとよくゲームをしていた。
当時流行っていたスマホのゲームだ。
もくもくとやっていたりみんなで盛り上がってやっていたり。
僕も誘われたが今度入れてみますと言って結局入れることはなかった。
ゲームで盛り上がってたり真剣になっているところに研究の質問を何度もしてウザいと思われるのが嫌で、先輩に質問するのもなるべく避けるようになった。
なんとかなるとかよく言ってて初めは肯定的に捉えていたが、あの先輩はただただ適当にやり過ごしているだけな人なのか。となんとなく思い始めた。
今思い返せばその先輩ももう少し気を使ってくれても良かったかもしれないが、たまには僕に進捗を聞きに来てくれてはいた。
その時に、具体的にここがわからないとちゃんと言えればよかった。
しかし、見栄を張ってまあなんとかします、みたいな返事を満遍の笑みでしていた僕が一番悪い。
あの頃は自分の仕事は自分でなんとかしないといけないみたいな考えがあった。
焦ったりパニクってる様子を悟られないように、あたかも元気なようにいつも見せかけた。
そんなこんなで結局次の進捗報告までプログラムが動くことはなかった。
教授に呆れられ、そんな顔を見ると失望されている気がして辛くて、ゲロ吐きそうになりながら帰ったのを覚えている。
それからもわからないことがあっても、先輩に聞くことは少なかった。
そのことが余計質問に行くことを億劫にさせていった。
もちろん作業が進まないので教授から怒られ、けれども先輩が深刻になる様子もなく。
「まあなんとかなるよ。あまり気にしないで。」
変わらずそんな感じで自分の研究もバリバリやっているように見えなかった。
いつも通りスマホでゲームをしてたり、誰かと長話ししてたり。
この先輩は大丈夫なのか?
自分の研究は進んでいるのか?
そんなふうによく思っていた。
しかしその先輩は理系では超有名な大企業に見事就職していったらしい。
正直あの先輩は何もちゃんと考えてないんだろうなと思っていたが、ああいう人のほうがうまく立ち回ってやるべきことも何だかんだ完遂できるんだろう。