豆腐メンタルの人生やり直し記録

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研究室から逃げて大学中退してから自衛隊に行くことになった話①

研究室から逃げて大学中退してから自衛隊に行くことになった話 

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大学院に進む意向ありとのことで教授からはそれ専用の研究テーマが与えられた。

 

初めのうちは、それについてひたすら調べたりしながら勉強して知識をつける段階だったと思う。

 

この研究室では2週間に1度、進捗報告をする必要があり、これが本当にストレスだったことを記憶している。

 

 

 

学生や先輩、助手等の前でスライドを用いて発表する機会とそこで指摘された点を改善した上で翌日に教授の前で発表する機会、と2回もあり本当に嫌で嫌で仕方なかった。

 

もちろん初めのうちは前提知識もなく知識を蓄えていく段階なので研究なんて進むわけがない。

 

皆2週間で学んだことについてまとめたものを発表するくらいしかできなかった。

 

いつも通り進捗報告の時間、その週は自分の発表のタイミング。

 

緊張しながら発表していると途中で助手から指摘があった。

 

「その技術の数式の意味具体的にわかってんの?」

 

僕としてはこの技術にはこういう数式が使われるくらいの認識だったため、数式を分解して上で一つ一つの動きを理解しているとまでは言えなかった。

 

「わ、わかりません」

 

どもりながら応える僕に厳しい視線を向ける助手、黙ってみている学生全員で10数人はいるだろうか。

 

静まり返る研究室、何も考えていないであろう学生たちでさえも皆僕を責め立てようとする敵にしか見えなくなっていた。

 

学科トップの僕がこんなことで責められてきょどっているのを見て皆失望しているに違いない。

 

大きくなる被害妄想とどうすればいいかわからない不安で頭の中はパニック、真夏でもないのに顔面は汗だくになっていた。

 

そんな自分を見てこいつこんなことでパニクってやんのとバカにされてるのではないか。

 

被害妄想が新たな被害妄想を生み出す負のスパイラルとなり人生の終わりのように感じられた。

 

「その数式の意味を理解することに意味があるんだからね」

 

その場はその助手の一言で収まった。

 

助手は元々怒っているつもりも責めているつもりもなかったんだろう。

 

でも僕には酷く叱られているように感じてしまった。

 

これ以降、進捗報告に必要以上にビクビクするようになった。